大学2年生の時
夏休みが終わっても帰らないと言うか、大学をやめて違う道に進もうかと、思っていたわけです。
母は助産師で、尾鷲で1万人も赤ちゃんを取りあげた人でした。
それで、医療の道に進もうかと考えていた時期が有りました。
安定していると言うだけの理由でしたけど、母は大阪の看護師の学校を卒業していて、友達もいたのもありその伝手を使って働きながら検査技師とかに進めないかって思っていました。
ところが、9月に入ると、地元の企業の途中採用の募集があったのです。
両親とも、地元の企業に就職してくれれば、その企業は安定しているし、地元でも入りたいと思っている人がたくさんある企業でした。
もちろん試験をするように進められたのですが、私には納得行かない理由が・・・
それは、石油会社だったから
石油は社会科で習った記憶を呼び戻すと、あと30年でなくなるようなことだったと。
じゃー定年まで勤めることが出来ないではないか。
そんな会社に将来はあるのかとか、その会社の規模とか全く見ることもせずに考えたわけです。
試験を受けるに当たり、色々と考えたのです。
そもそも、せっかく東京の大学まで行かせてもらったのに、途中で放り投げるわけですから、このまま尾鷲で生活することが自分の人生にとっていいのか、悪いのか。
尾鷲に戻るにしても、もう少し他所での生活を経験して色んな事を見てみたい。
でも、親はその会社に入って欲しいと、願っている。
で、思い出したのです。
当時住んでいた家のすぐ近くに高校時代に社会を教えてくれた先生のこと。
早速、10mほど歩いて、聞きに行きました。
先生
「常弘やないか。夜にどうした」
「あんなー 東邦石油あるやり、あそこがなー中途採用するんで親が受けーって言うんさ
そやけどな 石油って先生あんたゆうとったやり あと30年しかもたんと
そしたら、あしは定年までおれんがな。
どうしょうかいなー」
先生
「あんな 授業をちゃんと聞いてなかったようやな
石油は30年前も後30年でなくなると言うとったんやな
もしも東邦石油に入って30年経ったら、そのときも後30年って言うとるわな
その理由は、各学云々。。。。。。。
ついでにな、日本が消費する石油のどれだけが日本で取れるか 各学云々・・・・・」
「へー そうなんや そしたら、定年まで勤められるなー」
てな会話があり、自分なりに納得し、受けることにしたのです。
そして、試験当日
面接試験で5人ずつひとつの部屋に入って、当時の工場長が質問しました。
「皆さんは石油会社に入ろうとして、この試験を受けましたね。
では質問、石油は後30年しか持たないと言われています。
すると、君たちはもしかしたら定年まで勤めることが出来ないかも知れません。
なのに、東邦石油に入ろうとしていますが、不安はありませんか」
私以外 ザワザワ
で、私が
「先生に聞いたことを説明」
面接官
「よく知っていますね。では、日本の石油採掘量は年間消費量のどれだけで、それはどこで取れるのでしょうか」
私
「先生に聞いたことを説明」
面接官
あまりに適切な答えが帰ってきたので、私だけにもっと質問
私
先生に色々と教えてもらっていたので、パーフェクトの答え
面接官
「えーっと 君の名前はと・・・・
あのね、今回は守衛さんとして雇うんです。君は守衛としてやっていく気持ちはありませんか。」
私
「防災要員と言う事で、仕事の内容までは確かめていなかったのですが・・・・
守衛ということでしたら、どうしましょうか」
自分ではもっと明るい未来があると思っていたので、ここで守衛となって人生を過ごしてしまうのかと思うと、少し残念と正直思ったのです。
面接官
「では、何年くらいならその仕事でもいいですか、例えば2年とか3年とか」
私
「まあ3年くらいでしたら」
面接官
「分かりました。まあ様子を見て新卒が働く職場に移動することも考えてあげましょう」
私
「ありがとうございます」
そして1週間後に合格通知
そして、10月1日に入社
そして、守衛として働いた私は、3交代勤務と言うものすごく恵まれた職場にて、サーフィンに明け暮れ、まったく仕事を覚えることもなく数年たってしまいました。
結局は27歳くらいまでの間の7年間は遊び呆けたわけです。
最初の と言うか 入社の時の あのような立派な気持ちも忘れ、職場の先輩達に本当に遊んで頂きました。
特に海での遊びは人並み以上楽しませて頂きました。
もちろん仕事もしましたけど・・・
ヒラマサが釣れると聞いたら、先輩に連れてってもらい 3年がかりで釣ったこと。
船に乗せてもらい、早田の沖での深場の釣り
波乗り(サーフィンのこと)も釣りも、そして酒も
30歳までにこの関係のことは全て経験させて頂きました。
それからも43歳まで遊び続けたのですが、仕事らしい仕事もさせていただき、勉強もさせて頂きました。
今あるのは、社会科の先生のおかげといまさら感謝しています。
その先生と連休に合うことがあり、感謝を申し上げたのです。
先生は70歳になっていたのですが、非常勤講師として母校の尾鷲高等学校にて現在は定時制の生徒さん相手に授業をしています。
いつまでも、お元気でとの気持ちと感謝です。
先生ありがとうございます!
入ったときは立派なこと言ってた割に・・・まあいうじゃありませんか出来ない生徒ほど可愛いって。